坤櫓は明石城内で最大規模の3重櫓で、天守代用として使われました。
伏見城から移築されたと伝わっています。なお1982年(昭和57年)の大改修で、構造上、他から移されたものであることが明らかになり、伏見城からの移築説が裏付けられました。
その規模は、桁行六間(10.94m)、梁間五間(9.15m)、高さ七間二尺九寸(13.28m)、340トンで、各階の高さは3m強と巽櫓よりひと回り大きい櫓です。
本瓦葺、妻部を南北に置く入母屋造りで、西を向いています。西を向いているのは明石城には西国大名を監視する役割があったからだと考えられています。
坤櫓の各面の特長
南面 | 第一層に千鳥破風を据え、第二層を唐破風とし、第三層を入母屋でおさえている |
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東面 | 城内に向く面で、第一層は入口と南隅に窓がある。軒先は第一層、第三層は力強い直線だが第二層は唐破風の上に千鳥破風が重なる二重破風の豪華なつくり |
西面 | 播磨平野を展望する重要な面にあたり、巽櫓の南面をひとまわり大きくしたような造りで、天守代用にふさわしい威容がみられる |
北面 | 北面は城内に向かう面で窓は少なく、第一層、第三層にのみ窓がある |
坤櫓の主要寸法
1階 | 2階 | 3階 | 計 | |
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桁行 | 10.94m | 9.09m | 7.02m | |
梁間 | 9.15m | 7.30m | 5.23m | |
軒の出 | 1.39m | 1.24m | 1.24m | |
軒高※2・3階は柱盤上端より | 2.92m | 3.18m | 3.13m | |
棟高 | 13.28m | |||
平面積 | 100.10m2 | 66.36m2 | 36.71m2 | 203.17m2 |
軒面積 | 136.20m2 | 93.38m2 | 57.95m2 | 287.53m2 |
屋根面積 | 130.18m2 | 106.78m2 | 105.63m2 | 342.59m2 |
巽櫓同様、不定期に内部が公開されています(ただし一階のみ)。
用材には木目のそろった松材が多く使われ、移築前の豪華なつくりが偲ばれることからも幕府の城である伏見城からの移築を示しています。
1階には歴代藩主の家紋が入った瓦や復元模型が展示されています。
現在の坤櫓の下の石垣には横に張り出した補強部分がありますが、これはのちにつくられたもので築城時にはありませんでした。
伏見城の遺構のおもな移築先
「関ケ原の戦い」で勝利した徳川家康によって再建された伏見城は、その後「一国一城令」の発令にともない1619年(元和5年)に廃城が決まりました。
翌年から破却がはじまりましたが、天守は二条城に、また多くの建物は福山城・淀城に移築されています。このうち現存しているのは江戸城伏見櫓(ただし伝承)、福山城伏見櫓および筋鉄御門、豊国神社唐門(二条城行幸御殿から再移築)と明石城の坤櫓です。
ほかには膳所城、岸和田城、尼崎城にも櫓や城門が移築されましたが非現存です。いずれも天下普請の城か、幕府が重要視した譜代大名の城など、将軍家に関わりの深い城のみで、明石城そして小笠原忠政がいかに重用されていたかがわかります。