伏見櫓は1601年(慶長6年)前後に建てられたと推定される伏見城松の丸の東櫓を1620年(元和6年)に移築したものです。
これは1953年(昭和28年)に行われた解体修理の際に2階の梁から「松ノ丸ノ東やくら」との墨書が発見されたことにより移築が裏付けられています。
城内側に窓がほとんどないのは、城主の居館である本丸御殿を見おろすことがないようにと考えられたからです。
伏見櫓は天守を除けば熊本城の宇土櫓と並び、現存する最古の櫓のひとつで、国の重要文化財に指定されています。
3重3階で初重と2重は「総二階造」といわれる同規模の構造を持ち、その上に独立した構造の小さな望楼部を乗せる慶長初期の建築様式を残した望楼型の櫓となっています。
壁仕上げは白漆喰総塗籠で長押形を施している。桁行は8間(約15m)あり、並の城郭であれば天守に相当する規模を持っています。
なお、豊臣秀吉が築いた伏見城の遺構と説明されることもありますが、豊臣時代の櫓は「関ケ原の戦い」の前哨戦である「伏見城の戦い」で焼失しており、建築様式の面からも徳川家康の建てた伏見城の遺構と考えるべきです。
また伏見櫓は2004年(平成16年)10月20日、台風23号の強風により、鯱や瓦が落下するなどの被害がありましたが、2005年(平成17年)3月〜11月にかけて漆喰の補修なども含めた修理が行われました。