月見櫓も伏見櫓と同様に伏見城の櫓を移築したといわれる櫓で、2層2階建てで北側に附櫓を有していました。
本丸の南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていたことから、本来は「着見櫓」のことであると考えられます。
廃城に伴い、明治初年頃に取り壊され、跡地には1888年(明治21年)に福山公園(本丸)の活性化策として地元有志により「葦陽館」と呼ばれる貸会場が建てられましたが、福山大空襲で焼失しました。
現在建てられている月見櫓は、1966年(昭和41年)の秋に、天守とともに鉄筋コンクリートで再建されたものです。ただし、古写真とは南側正面にある石落しの有無や窓の配置など大きく異なっているため、あくまでも復興櫓の扱いです。
また、月見櫓も御湯殿同様、貸会場として利用されています。