福山城
福山城

[広島県][備後] 広島県福山市丸之内1-8


  • 平均評価:★★★★☆ 3.77(30位)
  • 見学時間:1時間12分(46位)
  • 攻城人数:2561(52位)

水野勝成の銅像

福山城の二の丸上段東側にある広場に徳川家康の従兄弟であり、福山城を築城した水野勝成の銅像があります。

水野勝成之像
瀬戸内海の中央 福山湾岸に河口を開く 芦田川 その広漠たる干潟を埋めて城下町となし ここに城を定む
水野勝成は 元和五年(一六一九年) 備後十万石の藩主に封ぜられるや この町を開き 福山と命名す
移封以来 民政に意を用い 広く領内に池溝を開削し 干拓を行い 耕地の拡大に努め 芦田川を改修し 水道を穿ち 藩政の安泰に力を尽す また社寺を復興し 文化の昻揚を図り今日の福山の礎を築く
市制六十周年の記念すべき年にあたり 銅像建立を発起し 先人の遺徳を偲び 明日への躍進を誓う
  昭和五十三年四月建之水野勝成公銅像建立期成同盟会
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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