福山城は1622年(元和8年)に完成した、近世城郭でもっとも新しい城です。
このときに築かれた5重の天守は明治維新後も残され、国宝(旧国宝)に選ばれていましたが、1945年(昭和20年)8月8日の福山大空襲により焼失しました。
現在の天守は1966年(昭和41年)11月に福山市の市制50周年記念事業として月見櫓、御湯殿とともに再建されたものです。
ただし当時の天守とは外観も異なっているため、復興天守の扱いとなっています。
再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用されており、特別展も年数回催されています。
内部の撮影はできませんが、当時の福山城や城下町を再現した模型のほか、水野時代や阿部時代の資料が数多く展示されています。
(入館料を考えると、充実しすぎだと思うほど満足しました)
また、天守最上階の廻縁からは市街を360度見渡すことができます。
水野家の家紋が使われていますね。
天守の前にある石碑です。
史跡福山城跡
昭和三十九年(一九六四)二月七日指定
この城は、元和五年(一六一九)福島正則の改易により備後十万石の領主として入封した水野勝成が、三年の歳月を費やし構築した近世の城郭である。
低い丘陵を利用した平山城で、東・南・西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、小丸山・天神山を天然の防塁とした。
現在内外の堀は埋められ、三之丸と共に市街地化しているが、二之丸・本丸は築城当時の姿をよく伝えている。
城地には、そそりたつ石垣をはじめ重要文化財の伏見櫓・筋鉄御門、市重要文化財の鐘櫓などがあり、昔日の姿をとどめている。
なお、天守閣・月見櫓・湯殿は昭和四十一年(一九六六)に、鏡櫓は昭和四十九年(一九七四)にそれぞれ外観復原したものである。
城号 敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城(葦陽城)
城主 水野氏五代・松平氏一代・阿部氏十代