辰鼓楼(しんころう)は1871年(明治4年)に旧三の丸大手門脇櫓台に建設された鼓楼です。当時は辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせるための太鼓を叩く櫓でした。
旧藩医の蘭方医、池口忠恕が大病を患った際に、多くの人々が病気快癒の願掛けをしたそうです。
その甲斐あってか忠恕は回復し、人々への感謝の意思を形にしたいとして、時計技師2名を招くとともにオランダ製の機械式大時計を取り寄せ、1881年(明治14年)に寄贈しました。それ以降、辰鼓楼は現在の姿の時計台となっています。
なお時計本体は入れ替えられ、現在は三代目となっています。
また「辰鼓櫓(しんこやぐら)」と表記されることもありますが、正しくは櫓ではなく楼閣であるため「辰鼓楼」が正確な表記となります。
現在も午前8時や午後1時には時を告げるための太鼓が鳴っています。
『有子のしらべ』
藩士が登城する辰の刻(午前八時)を告げるための太鼓を打ち鳴らしていたのにちなんで現在では、午前八時・午後一時に太鼓が、夕方には梵鐘がなります。山頂に城が築かれていた"有子山"の名前をとって、これを『有子のしらべ』と呼んでいます。二〇〇〇年十一月三日
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