出石そばは出石町の郷土料理です。
この地でそばを食べるようになったのは、江戸時代にさかのぼります。
江戸時代中期の1706年(宝永3年)、信州上田藩より出石藩に国替えとなった仙石政明(せんごくまさあきら)が、いっしょに信州そばの職人を連れてきたことにはじまります。
出石城の周辺には50軒近いおそば屋さんがあります。
ちなみに出石そばの特徴は、こうした小皿に盛られたおそば(一人前は5皿)をつゆ、薬味(ネギ、わさび、大根おろし)、とろろ、卵で味わいます。
卵はうずらではなく、ふつうの卵で食べます。
こうした割り子そばの形式が生まれたのは幕末の頃だそうです。
またそばを盛る出石焼の小皿は各店舗オリジナルの絵付けがされているので、それぞれのお店のお皿を見るのも楽しみです。
出石城址の本丸跡に石碑があります。
出石そば発祥の由来
ここは旧出石城本丸跡で祠は感応殿といい城主仙石氏の藩祖権兵衛秀久公(信州小諸城主)を祀り、その為権兵衛さんと市民から親しまれている場所です。四代政明公上田城主の時、尊崇されていた古社・科野(信濃)大宮社御神木の大欅が枯死したのを大層憂い、切株に覆い屋を施し大切に保存され現在も、在りし日の面影を偲ばせて遺されています。
政明公は大変そば好きで宝永三年(一七〇六)出石の松平忠徳公(のち忠周=老中)とお国替えで出石に入部の際、信州一の蕎麦打ち名人を伴われ入国しそばを当地に広められました。後永年に亘り改良と技術研鑽を重ね、出石焼の小皿に盛り付ける独特の「出石皿そば」を創出し今日に受け継いできました。
本年そば伝来三百年を迎え、科野大宮社三柱の御祭神の依代として、大欅の一部を譲り請け「出石皿そば」の守護神とし、政明公への報恩の念を込め、当祠に奉齋しました。
ここに関係者一同末代迄のお祀りを誓い合い、「出石皿そば」の品質向上と発展を期し、碑文を刻み由来を記しました。
平成十八年十一月三日
仙石科野大宮社御神木奉賛会