金沢城
金沢城

[石川県][加賀] 石川県金沢市丸の内


  • 平均評価:★★★★☆ 3.80(25位)
  • 見学時間:1時間35分(13位)
  • 攻城人数:3880(16位)

東ノ丸北面石垣

「石垣の博物館」と呼ばれる金沢城の中でも東の丸にある石垣はもっとも古い「野面積み」の技法が使われています。
前田利家は穴太出身の穴太源助らを召抱えたそうですから、このあたりの石垣は穴太衆積みの石垣なのでしょうね。

もともと金沢城の場所には金沢御坊(尾山御坊)があったわけですが、織田信長が加賀を攻め取った際に、金沢御坊は北陸方面軍の司令官である柴田勝家の家臣、佐久間盛政が占拠し、土塁や堀などを改修しました。

賤ヶ岳合戦後、この地には利家が入城して近世的な城郭に発展させたわけですが、まさにこの東の丸の石垣は佐久間盛政が築いたものを改修して築き直したものだといわれています。

ボランティアガイドの方が案内してくれます。

ボランティアガイドは石川門を入ったところにある休憩所でお願いすることができるようです。

東ノ丸北面石垣(ひがしのまるきためんいしがき)
 文禄元年(1592年)、利家は、急ごしらえの平山城であった金沢城の石垣改修にのりだします。この石垣は、城内で最も古い技法が用いられており、金沢城の初期の姿を伝える数少ない貴重なものです。自然石や粗割り(あらわり)しただけの石を緩い勾配で積み上げた「野面積み(のづらづみ)」になっています。
 近くに寄って、利家が城に託した気持ちに思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

創建 文禄(1592〜1595)頃
改修 一部改修の跡が見られるが時期は不明。
現状 創建時の姿がよく残っている。
   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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