黒門前緑地はかつて佐久間盛政が築城した当時の大手門があった黒門口(当時は西丁口)のすぐそばにある緑地です。
前田利家の四女にして、宇喜多秀家の正室となった豪姫が金沢に戻ってきた後に住んだ住居跡でもあります。
建物は豪姫が暮らした屋敷ではなく、アドレナリンやタカジアスターゼの発明で世界的に知られる高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築したものだそうです。
豪姫住居遺址
豪姫は一五七四年(天正二)、加賀藩藩祖・前田利家とお松の方との四女として誕生したが、豊臣秀吉の養女となった。後に岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎ、備前の方と称される。
一六〇〇年(慶長五)、関ヶ原の合戦に敗れた秀家は徳川家康により八丈島に流され、豪姫は金沢に帰る。三代藩主利常より粧田千五百石を与えられ、この辺りで居住したと文献は伝えている。
一六三四年(寛永十一)五月二十三日、豪姫はこの地で六十年の生涯を閉じた。豪姫の人生の半分は両親ゆかりの金沢で過ごしたといってよい。金沢市