金沢城
金沢城

[石川県][加賀] 石川県金沢市丸の内


  • 平均評価:★★★★☆ 3.80(25位)
  • 見学時間:1時間35分(13位)
  • 攻城人数:3880(16位)

黒門前緑地(豪姫住居遺址)

黒門前緑地はかつて佐久間盛政が築城した当時の大手門があった黒門口(当時は西丁口)のすぐそばにある緑地です。
前田利家の四女にして、宇喜多秀家の正室となった豪姫が金沢に戻ってきた後に住んだ住居跡でもあります。

建物は豪姫が暮らした屋敷ではなく、アドレナリンやタカジアスターゼの発明で世界的に知られる高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築したものだそうです。

豪姫住居遺址
 豪姫は一五七四年(天正二)、加賀藩藩祖・前田利家とお松の方との四女として誕生したが、豊臣秀吉の養女となった。後に岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎ、備前の方と称される。
 一六〇〇年(慶長五)、関ヶ原の合戦に敗れた秀家は徳川家康により八丈島に流され、豪姫は金沢に帰る。三代藩主利常より粧田千五百石を与えられ、この辺りで居住したと文献は伝えている。
 一六三四年(寛永十一)五月二十三日、豪姫はこの地で六十年の生涯を閉じた。豪姫の人生の半分は両親ゆかりの金沢で過ごしたといってよい。金沢市
   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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