車橋門は百間堀といもり堀をつなぐ水門の位置にあった木橋と門です。
車橋(くるまばし)門周辺の石垣
堀縁の石垣は、本来この付近で車道側に折れて堀の南端に続いていました。そこには増水時に堀の余水をいもり堀側へ落とす水門が造られ、「車橋」という名の木橋と門がありました。
背後左手の石垣は、明治末の道路工事で堀を埋め立てた際の石垣で、当時流行した「谷積み」の手法で積まれています。
創建 元和〜寛永(1615〜1644)頃
改修 江戸後期から明治初期
現状 江戸後期、明治44年
車橋門は百間堀といもり堀をつなぐ水門の位置にあった木橋と門です。
車橋(くるまばし)門周辺の石垣
堀縁の石垣は、本来この付近で車道側に折れて堀の南端に続いていました。そこには増水時に堀の余水をいもり堀側へ落とす水門が造られ、「車橋」という名の木橋と門がありました。
背後左手の石垣は、明治末の道路工事で堀を埋め立てた際の石垣で、当時流行した「谷積み」の手法で積まれています。
創建 元和〜寛永(1615〜1644)頃
改修 江戸後期から明治初期
現状 江戸後期、明治44年
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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