百間堀は金沢城でもっとも幅が広く規模の大きい外堀でした。
現在、百間堀は埋め立てられて道路になっています。兼六園と金沢城石川門の間に走っている道路なので、バスで訪問する際にはまさに百間堀跡を走ってると思います。
当時の百間堀には土橋が架かっていました。
百間堀跡にある案内板の内容です。
百間堀(ひゃくけんぼり)Hyakukenbori
ここから見える金沢城と兼六園の間は、かつて百間堀のあったところです。
金沢御堂(かなざわみどう)陥落(かんらく)後、佐久間盛政(さくまもりまさ)の時代(天正8〜11年、1580〜1583)につくられ、前田利家の入城後、その子利長により改修されたと言われています。小立野台と金沢城とを分断する、防衛上重要な水堀で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4mあり、その大きさから百間堀の呼び名がついたようです。明治43〜44年(1910〜1911)の道路工事により、現在のような姿となりました。
なお、別名蓮池堀とも呼ばれ、その由来については、もと蓮が群生する沼地であったためとも、金沢御堂の時代、極楽浄土に見立てた地名の名残とも言われています。
百間堀の石垣にはたくさんの刻印が見つかりますので、ゆっくり歩いてみるのもいいでしょう。
案内板の内容です。
蓮池堀(百間堀)の石垣
蓮池堀(百間堀)縁の石垣は、豊富な刻印に特徴があります。刻印は石切場で刻まれた合印(あいじるし)と考えられ、金沢城では200種類以上が見つかっています。一箇所の石垣に数種類の刻印が混在するのが通例ですが、ここでは地区ごとにまとまりがあり、数メートル間隔で刻印の種類に変化が見られます。
創建 元和〜寛永(1615〜1644)頃
改修 元文2年(1737)等に一部改修
現状 上部を除けば概ね創建時
まだまだ刻印入の石垣がありました。