天守が焼失した金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていました。
現在、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元されている二の丸の内部には、かつては「千畳敷」と形容されるほど立派な御殿が建てられていたそうです。
二の丸
寛永の大火(一六三一)後、二の丸に「千畳敷」と形容される豪華な御殿が建てられ、藩庁として利用された。元禄年間の増築で拡充されたが、儀式の場である「表向(おもてむき)」、殿様が日常政務を行う「御居間廻り(おいままわり)」、妻子や奥女中の生活の場である「奥向(おくむき)」という三つの空間に仕切られていた。
この広大なスペースに御殿があったんでしょうね。
二の丸の遺構としては、御殿の唐門が金沢市内尾山町にある尾山神社に、能舞台が金沢市内中村町にある中村神社拝殿にそれぞれ移築され現存しています。
(尾山神社の境内には前田利家像も建立されています)