金沢城
金沢城

[石川県][加賀] 石川県金沢市丸の内


  • 平均評価:★★★★☆ 3.79(33位)
  • 見学時間:1時間34分(24位)
  • 攻城人数:1889(14位)

二の丸

天守が焼失した金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていました。
現在、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元されている二の丸の内部には、かつては「千畳敷」と形容されるほど立派な御殿が建てられていたそうです。

二の丸
 寛永の大火(一六三一)後、二の丸に「千畳敷」と形容される豪華な御殿が建てられ、藩庁として利用された。元禄年間の増築で拡充されたが、儀式の場である「表向(おもてむき)」、殿様が日常政務を行う「御居間廻り(おいままわり)」、妻子や奥女中の生活の場である「奥向(おくむき)」という三つの空間に仕切られていた。

この広大なスペースに御殿があったんでしょうね。

二の丸の遺構としては、御殿の唐門が金沢市内尾山町にある尾山神社に、能舞台が金沢市内中村町にある中村神社拝殿にそれぞれ移築され現存しています。
(尾山神社の境内には前田利家像も建立されています)

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

金沢城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

宿所の変遷からみる 信長と京都

信長はなぜ本能寺に泊まったのか、という疑問に応えてくれた専門書。京都における信長の足跡が「信長在京表」としてまとめられている。その典拠は同時代史料、公家や僧侶などによる日記(古記録)や書状(古文書)であり信長の動静がじかに伝わってくる(ように読み解かれていて有難い)。絵画史料として上杉本洛中洛外図も要所要所で使われていて当時の様子がイメージしやすい。あと2~3巡読み返し理解を深めたいところだが、天正10年の宿所が本能寺「御屋敷」であった訳がまずはわかった。

たかみくらさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る