金沢市文化スポーツ局文化財保護課によって作成された金沢城惣構跡の公式パンフレットです。
金沢城の惣構(そうがまえ)
「惣構」とは、城下町を囲い込んだ堀や土居(どい)などのことで、安土桃山時代?江戸時代初めに、日本各地で築かれました。
二重の惣構
金沢城には、内・外二十の惣構がつくられました。内惣構は二代藩主前田利長が高山右近に命じて慶長(けいちょう)4年(1599年)に造らせたといわれています。さらに慶長15年には、三大藩主利常が家臣の篠原出羽守(しのはらでわのかみ)一孝(かずたか)に命じて外惣構を造らせました。堀の城側には土を盛り上げて土居を築き、竹、松、ケヤキなどを植えていました。
惣構の管理
惣構肝煎(きもいり)・惣構橋番人などの町役人を配置して、堀にゴミを捨てること、土居を崩すこと、竹木を伐採することなどを禁じていました。北国街道出入口の枯木(かれき)橋と香林坊(こうりんぼう)橋、港へ通じる升形(ますがた)はとくに軍事・交通の要衝とされていました。
今にいきづく惣構の流れ
時代の流れとともに、多くの土居はくずされ、堀は埋め狭められてしまいました。しかし、その流れは市内の各所で今も途絶えることなく、市民に親しまれています。
金沢城惣構跡は、平成20年12月26日に金沢市指定史跡になりました。