金沢城
金沢城

[石川県][加賀] 石川県金沢市丸の内


  • 平均評価:★★★★☆ 3.79(33位)
  • 見学時間:1時間34分(24位)
  • 攻城人数:1889(14位)

本丸

現在、金沢城の本丸にはなにも残っていませんが、かつてはここに天守や本丸御殿がありました。

本丸(ほんまる)
 古くは金沢御堂(かなざわみどう)があった場所と伝え、天正十一年(一五八三)の賎ヶ岳合戦後、前田利家が入城し、天正十四年(一五八六)頃に天守閣を設けたといわれる。
天守閣は慶長七年(一六〇二)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。寛永の大火(一六三一)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

金沢城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

宿所の変遷からみる 信長と京都

信長はなぜ本能寺に泊まったのか、という疑問に応えてくれた専門書。京都における信長の足跡が「信長在京表」としてまとめられている。その典拠は同時代史料、公家や僧侶などによる日記(古記録)や書状(古文書)であり信長の動静がじかに伝わってくる(ように読み解かれていて有難い)。絵画史料として上杉本洛中洛外図も要所要所で使われていて当時の様子がイメージしやすい。あと2~3巡読み返し理解を深めたいところだが、天正10年の宿所が本能寺「御屋敷」であった訳がまずはわかった。

たかみくらさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る