現在、金沢城の本丸にはなにも残っていませんが、かつてはここに天守や本丸御殿がありました。
本丸(ほんまる)
古くは金沢御堂(かなざわみどう)があった場所と伝え、天正十一年(一五八三)の賎ヶ岳合戦後、前田利家が入城し、天正十四年(一五八六)頃に天守閣を設けたといわれる。
天守閣は慶長七年(一六〇二)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。寛永の大火(一六三一)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
現在、金沢城の本丸にはなにも残っていませんが、かつてはここに天守や本丸御殿がありました。
本丸(ほんまる)
古くは金沢御堂(かなざわみどう)があった場所と伝え、天正十一年(一五八三)の賎ヶ岳合戦後、前田利家が入城し、天正十四年(一五八六)頃に天守閣を設けたといわれる。
天守閣は慶長七年(一六〇二)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。寛永の大火(一六三一)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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