本丸東虎口櫓門前にある橋の下の堀は現在は空堀ですし、1647年(正保4年)に江戸幕府に提出した絵図でも「から堀」と記されていますが、排水口があることから築城当初は水堀だった可能性が指摘されています。
(仮にそうだったとすると数少ない真田時代の上田城の遺構ということになります)
橋の上から駐車場や北陸新幹線があるほうを向けば、排水口が確認できます。
崖下の尼ヶ淵側には案内板が設置されています。
尼ヶ淵と石垣
本丸南側の尼ヶ淵は崖面がもろく崩れやすい性質だったことから、築城以来崖の保護対策が講じられてきました。南・西櫓下の下段には享保の洪水(享保17年・1732)後に設置された大規模な石垣があります。
本丸東西虎口の土橋より南側の堀は、正保4年(1647)江戸幕府に提出した絵図では『から堀』と記されており、比較的早い時期、または当初から空堀だったことが分かります。ただ東虎口側の東南隅にある石垣には排水口があり、水を入れた、あるいは入れる意図があったことが分かります。
尼ヶ淵から見た排水口です。