上田城
上田城

[長野県][信濃] 長野県上田市二の丸


  • 平均評価:★★★★☆ 3.68(35位)
  • 見学時間:1時間14分(40位)
  • 攻城人数:4681(12位)

大手門跡

上田城跡公園から市役所に向かってまっすぐ歩いていくと大手門跡があります。
現在は道路になっていますが、クランク状の構造からも枡形があったことがよくわかります。道路脇には「大手門公園」というちいさな公園と案内板があります。

訪問したときは雪に埋もれていてぜんぜんわかりませんでした。

大手門公園
上田城は真田幸村(信繁)の父、昌幸によって天正一三年(一五八五)に一応の完成をみたものと考えられる。
現在、上田市内に多く見られる鉤の手状の街路は城下町としてのなごりをとどめるものであり、特にこの場所には大手門があった。大手門とは城の正面であり、上田城では門の枡形を構成する石垣と、その前南北に堀があっただけで城門は造られていなかったといわれている。
   

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刀狩り: 武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 965)

築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。

まーちゃんさん)

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