上田城
上田城

[長野県][信濃] 長野県上田市二の丸


  • 平均評価:★★★★☆ 3.78(29位)
  • 見学時間:1時間18分(37位)
  • 攻城人数:3810(12位)

上田城の歴代城主一覧(上田藩・歴代藩主)

上田城は真田氏の城という印象が強いですが、じっさいには真田氏が城主をつとめたのは初代城主の昌幸のみで、「関ケ原の戦い」後に上田藩の初代藩主となった嫡男・信之の時代には城は破却を命じられ、信之も引きつづき沼田城を本拠としたため、厳密にいえば信之は上田城主ではありません。

真田昌幸

上田城の再建修築は、松代に移封となった信之に代わり上田藩主として入った仙石忠政によっておこなわれています。
ただし再建を開始した2年後の1628年(寛永5年)に忠政が死去したため、城普請は中断されました。

仙石忠政

仙石氏3代のあとは、十八松平のひとつである松平氏(藤井松平家)が7代にわたり明治維新まで城主をつとめました。

上田城の歴代城主

歴代 西暦(和暦)城主メモ
11583年(天正11年)真田昌幸初代城主。1583年(天正11年)に上田城を築城。
21601年(慶長6年)真田信之※上田藩初代藩主。信之の時代には上田城は破却されていたため、城主ではない。
31622年(元和8年)仙石忠政(ただまさ)仙石秀久の三男。小諸藩5万石から上田6万石に加増移封
41628年(寛永5年)仙石政俊(まさとし)仙石忠政の長男。父の死去により家督を継ぐ。
51669年(寛文9年)仙石政明(まさあきら)仙石政俊の嫡孫。1686年(貞享3年)と1702年(元禄15年)の2度にわたり、上田城の修築工事をおこなう。1706年(宝永3年)1月28日、但馬出石藩に転封。
61706年(宝永3年)松平忠周(ただちか)但馬出石藩から転封。徳川吉宗が8代将軍になると京都所司代を経て老中に起用された。
71728年(享保13年)松平忠愛(ただざね)松平忠周の三男。1730年(享保15年)、上田城下町大火、三の丸藩主屋形が焼失。
81749年(寛延2年)松平忠順(ただより)松平忠愛の長男。1761年(宝暦11年)12月に百姓一揆(上田騒動)が起こる。
91783年(天明3年)松平忠済(ただまさ)松平忠順の長男。武芸稽古所を創設した。
101812年(文化9年)松平忠学(たださと)忠済の養子として迎えられる。1813年(文化10年)に藩校・明倫堂を創設して文武を奨励する。
111830年(文政13年)松平忠固(ただかた)播磨姫路藩主・酒井忠実の二男。1829年(文政12年)9月、松平忠学の養子となる。1854年(嘉永7年)の日米和親条約と、1857年(安政5年)の日米修好通商条約という2度の条約の調印時にいずれも老中をつとめた。
121859年(安政6年)松平忠礼(ただなり)松平忠固の三男。最期の藩主。版籍奉還を経て上田藩知事となる。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

上田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

冗談新選組

マンガ本編も最高だけど、作者のみなもと太郎先生と『真田丸』の脚本を担当された三谷幸喜さんの対談がすごくいいです。このふたりの歴史の楽しみ方はすごく共感できます。

こうの)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る