上田城
上田城

[長野県][信濃] 長野県上田市二の丸


  • 平均評価:★★★★☆ 3.72(39位)
  • 見学時間:1時間15分(40位)
  • 攻城人数:4154(12位)

上田城のパンフレット

上田市観光課によって作成された上田城の公式パンフレットです。

提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
第一次上田合戦
 天正13年(1585)8月、7000人余の徳川軍が上田城へと攻め入った。昌幸が沼田領引渡しを拒否し、家康と断交したためである。対する真田軍は2000人足らず。しかし昌幸は巧みな戦術で徳川軍を撃退してしまう。神川合戦ともよばれるこの戦いが、真田氏と上田城の名を天下に広く知らしめた。
第二次上田合戦
 昌幸父子が相別れて戦うことになった関ヶ原合戦の前哨戦。慶長5年(1600)9月、西軍(石田方)についた昌幸と幸村は上田城にたてこもり、中仙道を西進する徳川秀忠軍と戦った。3万8000人の徳川軍に対し、真田軍はわずかに2500人。軍事力の差をものともせず、またしても徳川軍に大きな損害を与えた。
提供:上田市観光課
上田城 見どころ 案内
 上田城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置しています。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城ですが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせました。数ある城郭のなかで、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は、全国でも他に例はありません。
 しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に破却され、藩主であった真田信之も松代へ移封となりました。その後、小諸から入封した仙石氏により城は再興され、近世後半には松平氏の居城となります。
 かつて本丸には櫓門2基、櫓7基がありましたが、現在は櫓3基と櫓門1基をみることができます。また、園内には石垣や土塁が至る所に残されています。
 真田氏からはじまり、築城から400有余年。上田城は今もなお、訪れる人々を魅了しています。桜や新緑、紅葉など、美しい四季の移ろいとともに、戦国ロマンあふれる園内で、歴史探訪をぜひお楽しみください。

ほかにもさまざまなパンフレットが用意されています。

提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
上田城跡公園
「真田太平記」や「真田十勇士」の物語でもその名を知られる真田氏。その居城として真田昌幸により天正十一年(一五八三年)に築城されたのが上田城です。昌幸・幸村親子が二度に渡って徳川軍を退け、江戸時代も城下町・上田の中心であったこの名城は、現在、公園として市民の憩いの場となっています。春には、本丸跡やお堀端に植えられた約千本の桜が古城に彩りを添え、花見の宴に訪れる多くの市民や観光客で賑わいを見せます。
真田氏歴史館
展示された真田一族に関する資料は一見の価値あり。隣接する真田氏館跡は、ツツジの名所として有名です。
長谷寺(ちょうこくじ)
幸隆が開山した真田氏の菩提寺。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。春のシダレ桜は必見。
提供:上田市観光課
提供:上田市観光課
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

上田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

こうの)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る