上田市観光課によって作成された上田城の公式パンフレットです。
第一次上田合戦
天正13年(1585)8月、7000人余の徳川軍が上田城へと攻め入った。昌幸が沼田領引渡しを拒否し、家康と断交したためである。対する真田軍は2000人足らず。しかし昌幸は巧みな戦術で徳川軍を撃退してしまう。神川合戦ともよばれるこの戦いが、真田氏と上田城の名を天下に広く知らしめた。第二次上田合戦
昌幸父子が相別れて戦うことになった関ヶ原合戦の前哨戦。慶長5年(1600)9月、西軍(石田方)についた昌幸と幸村は上田城にたてこもり、中仙道を西進する徳川秀忠軍と戦った。3万8000人の徳川軍に対し、真田軍はわずかに2500人。軍事力の差をものともせず、またしても徳川軍に大きな損害を与えた。
上田城 見どころ 案内
上田城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置しています。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城ですが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせました。数ある城郭のなかで、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は、全国でも他に例はありません。
しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に破却され、藩主であった真田信之も松代へ移封となりました。その後、小諸から入封した仙石氏により城は再興され、近世後半には松平氏の居城となります。
かつて本丸には櫓門2基、櫓7基がありましたが、現在は櫓3基と櫓門1基をみることができます。また、園内には石垣や土塁が至る所に残されています。
真田氏からはじまり、築城から400有余年。上田城は今もなお、訪れる人々を魅了しています。桜や新緑、紅葉など、美しい四季の移ろいとともに、戦国ロマンあふれる園内で、歴史探訪をぜひお楽しみください。
ほかにもさまざまなパンフレットが用意されています。
上田城跡公園
「真田太平記」や「真田十勇士」の物語でもその名を知られる真田氏。その居城として真田昌幸により天正十一年(一五八三年)に築城されたのが上田城です。昌幸・幸村親子が二度に渡って徳川軍を退け、江戸時代も城下町・上田の中心であったこの名城は、現在、公園として市民の憩いの場となっています。春には、本丸跡やお堀端に植えられた約千本の桜が古城に彩りを添え、花見の宴に訪れる多くの市民や観光客で賑わいを見せます。真田氏歴史館
展示された真田一族に関する資料は一見の価値あり。隣接する真田氏館跡は、ツツジの名所として有名です。長谷寺(ちょうこくじ)
幸隆が開山した真田氏の菩提寺。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。春のシダレ桜は必見。