上田城跡公園の北側、陸上競技場のあるあたりには二の丸北虎口がありました。
現在は石垣が残っています。
石垣のほとんどは復元整備により修復されていますが、この写真の左側に写っている石垣は築造当時のままのようです。
わりと大きな枡形虎口です。
1626年(寛永3年)からはじまった仙石忠政による上田城再建の計画ではこの北虎口にも櫓門を設ける予定だったと考えられますが、忠政の病死により工事が中座してしまったため建てられませんでした。
二の丸北虎口
二の丸にあった3箇所の虎口のうち、東・北虎口のみ石垣が残っています。主な石材は本丸の石垣と同じ緑色凝灰岩です。現在北虎口にある石垣2基は平成2年及び5年に復元整備したものですが、北側の石垣の西端は築造当初のものです。
北虎口土橋の両側面には石垣が積まれています。東側は堀が埋め立てられて児童遊園地になっており現在は見ることができませんが、西側は陸上競技場につながる通路に沿って良好に保存されています。
平成3年度に実施した発掘調査では、櫓門の礎石が確認されました。このことから、上田城主仙石忠政は二の丸北虎口にも櫓門を建造する計画だったことが分かりますが、病死により建てられることはありませんでした。