西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓で、上田城唯一の現存遺構です。
なお、西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には「西川手櫓」と呼ばれていました。
外壁は下見板張りで、その上から軒の部分までは塗籠となっています。これは寒冷地の城によく見られる形式です。
また、屋根は入母屋造り、本瓦葺きです。
尼ヶ淵から見た西櫓です。
この西櫓は仙石忠政によって1626年(寛永3年)からおこなわれた復興工事の際に建てられたもので、その後建て直した記録がないことから当時のまま現存していると考えられます。
規模は東虎口に再移築された北櫓・南櫓とまったく同じで、1階は桁行9.85m、梁間7.88m、2階は桁行8.64m、梁間6.67mとなっています。
建物全体と通した心柱はなく、2階は1階より二尺(60.6cm)ずつ内側に入れた梁の上の土台に柱を立てており、箱の上にひとまわり小さな箱を重ねた構造になっています。
西櫓の中心の丸柱には、仙石氏の「仙」という字の刻印がいくつも押されています。
段丘崖の真下から見上げた西櫓です。
格子窓に突き上げ戸がついた「武者窓」や、矢狭間・鉄砲狭間といった狭間が設けられています。
本丸西櫓
本丸には7棟の櫓がありました。いずれも元和8年(1622)真田信之の松代転出後に上田城主となった仙石忠政が行った、寛永3年(1626)からの上田城復興工事の際に建てられました。
現在、本丸の東西虎口には隅櫓が3棟ありますが、南櫓・北櫓の2棟は、明治維新後、他所へ移築されていたものを現在地に再移築したものです。西櫓のみが寛永期の建築当初の部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残す西櫓は全国的にも貴重な建物であり、昭和34年には南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されました。
櫓の構造は桁行(けたゆき)5間(けん)(約9m)梁間(はりま)4間(約7.2m)の二重櫓で、主要材は松と栂(つが)です。屋根は入母屋造(いりもやづくり)で本瓦葺き、外壁は下見板張(したみいたば)りで一部を白漆喰(しろしっくい)の塗籠(ぬりごめ)としています。
窓は「武者窓」という形式で、突き上げ戸が取り付けられており、棒で突き上げてすばやく開けられるようになっています。
1階の狭間(さま)(矢・弾丸を放つための窓)は、いずれも下方の敵を狙いやすいように低い位置に開けられています。南・北面では左から縦長の矢狭間が一つと、正方形に近い鉄砲狭間三つが並んでいます。また西面では、左側に矢狭間が一つ、その右に鉄砲狭間が並んで配置されています。