本丸東虎口には復元された櫓門と、移築された南櫓・北櫓があります。
またその両脇にある南櫓と北櫓は明治維新後に民間に払い下げとなっていたものを1949(昭和24年)に移築復元されました。
移築前は上田遊郭にあった金秋楼(きんしゅうろう)と万豊楼(まんぽうろう)という遊女屋(貸座敷)として使われていたそうです。
なお、もともとこれらの櫓2基がこの場所にあった北櫓と南櫓だったかは定かではなく、民間に払い下げられた西櫓以外の6基の櫓のうちの2つであるということだけがわかっています。
これは南櫓です。江戸時代には「東川手櫓」と呼ばれていたそうです。
北櫓と櫓門です。
北櫓の江戸時代の呼び名はわかりませんでした。
南櫓と北櫓は、現存して徴古館(博物館)として利用されていた西櫓とともに、1953年(昭和28年)から「上田市立博物館」として、1965年(昭和40年)に現在の博物館が開館するまで使用されました。
現在、復元櫓門と南北櫓は内部を見学することができます。
見学料は上田市立博物館と共通になっています。
そのまま櫓門に入れます。
窓からは虎口の橋が見えます。
北櫓は撮影不可となっていますが、なかではビデオが上映されています。
櫓門の内側に案内板があります。
本丸東虎口
現在、本丸の東西虎口には3棟の櫓が残っています。
東虎口にある南北2棟の櫓は明治8年(1875)に民間に払い下げられ、上田城の北方、太郎山山麓の上田遊郭に移築されました。昭和16年(1941)には市内の建築業者から東京の料亭に転売されるという事態が起こりましたが、市民らにより上田城址保存会が結成され、2棟の櫓を買い戻しました。その後、戦局の悪化による中断をはさみながら同24年(1949)に現在地に復元。南櫓・北櫓と名付けられ、上田城跡のシンボルとして人々を迎えることになりました。昭和34年には、西櫓とともに長野県宝に指定されています。
また現在東虎口にある櫓門は、古写真等を根拠に平成5年度に復元したものです。
尼ヶ淵から見た南櫓です。