上田城に設置されている案内板の内容を紹介します。
国指定 史跡
文化財保護法第一〇九城の規定により左記のとおり指定する記
一、種別 史跡
一、名称 上田城跡
一、所在地 上田市二の丸
一、指定年月日 昭和九年十二月二十八日
上田城は天正十一年(一五八三年)真田昌幸によって築かれた平城である。
当時の千曲川分流尼ヶ渕に臨み、太郎山と千曲川・神川に取り囲まれた天然の要害に拠っている。竣工の翌天正十三年昌幸が徳川家康の命に従わなかったため、その怒りに触れ、大久保忠世・鳥居元忠等の率いる信濃・三河の勢八千でこの城を攻めたが遂に陥れることができなかった。
また慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の合戦に際し、豊臣方に属した昌幸・幸村父子は、この城にたて籠もり徳川秀忠率いる二万五千の大軍の西上をはばんで、関ヶ原の戦いに不参させたことは、上田城を一躍天下の名城と言わしめるに至った。
現在三の丸は市街地と変わってしまったが、本丸と二の丸には土塁・石垣・濠跡がのこり、特に本丸の東西虎口に三基の隅櫓と石垣、が昔の姿を留めている。
平成二十五年四月一日
文化庁
上田市教育委員会