上田城
上田城

[長野県][信濃] 長野県上田市二の丸


  • 平均評価:★★★★☆ 3.74(34位)
  • 見学時間:1時間14分(40位)
  • 攻城人数:4087(12位)

本丸西虎口

上田城の搦手口にあたる本丸西虎口にはかつては東虎口と同様に櫓門がありました。

城内側から。ここに櫓門がありました。奥にあるのは西櫓です。

現地にある案内板です。

本丸西虎口
 本丸には東西2箇所、二の丸には3箇所の虎口がありました。虎口とは、城内への敵の侵入を防ぐために城の門に枡形(ますがた)を造って曲げるようにした出入口のことです。平成3年に実施した本丸西虎口の発掘調査では、櫓門の礎石及び石垣の根石等が検出されました。このことにより、本丸東虎口と同様、西虎口にも櫓門1棟があったことが分かりました。また石垣の天端(てんば)には、櫓門下層最前列の冠木と、最後列の敷桁を載せるための切り欠きが残っています。
   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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