上田城
上田城

[長野県][信濃] 長野県上田市二の丸


  • 平均評価:★★★★☆ 3.74(34位)
  • 見学時間:1時間14分(40位)
  • 攻城人数:4087(12位)

眞田杉(真田杉)

眞田神社の参道脇に「眞田杉」と呼ばれる杉の木の切り株があります。

倒木の危険があることから伐採されましたが、樹齢450年と上田城築城当時に植えられた杉の木だそうです。

御神木眞田杉由緒
信州上田城は信州眞田藩眞田幸隆候の後継者眞田昌幸公によって天正十一年(一五八三)に築かれ、息子眞田幸村や城下の住民らの活躍も有って徳川の大軍を二度にわたって退けた名城として、歴史にその名をとどめております。
かつて城址には老杉が林立しておりましたが、今は数本を残すのみとなりました。その内の一本が大風等により倒木の恐れがあり、伐採やむなきにいたりました。年輪を数えましたところ、四百五十年に及び、まさに築城当時より眞田三代を始め仙石、松平とこの城の栄枯盛衰を見てきた老木であることが判明いたしました。
上田城と眞田三代の歴史であり「心と魂」でありますこの杉を、なにかの形で後世に残そうとその切り株を「赤備え兜」で風雨から守り御札、表札等各種木製品を記念に制作した次第です。
時あたかも、上田城本丸に鎮座し、代々の城主をお祀り申し上げます眞田神社では平成の大修理に着手しております。この時に当たり、ご寄進頂きました篤信の方々や参拝の皆様に老杉の材をもって作りました品をお分けすることにいたしました。
眞田魂はふるさとの大自然の知恵、人やいのちを全て愛し助ける仁愛、逆境に立ち向かう勇気の「智、仁、勇」の三つとその基となる「愛と和と義」の六つの六連魂で出来ています。長く城を見守りました大樹をもって作りました品にはこれらの眞田魂が宿っております。
ご尊家の繁栄をお守りし、ご子孫の宝となると存ずる次第です。
   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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