大輪寺は真田昌幸の正室で、信之・信繁(幸村)の生母である山手殿(寒松院殿)が開基と伝わる寺院です。
もともとは砥石城の近隣にありましたが、昌幸が上田城を築城した際に、山手殿の発願により鬼門にあたる現在地に再建されました。
「関ケ原の合戦」終結後の1600年(慶長5年)12月13日、昌幸・信繁父子は16人の家来と信繁の妻女を伴って、九度山に幽閉されることになりましたが、山手殿は信之に引き取られ、上田に留まりました。
この後、出家して名を寒松院と改め、1601年(慶長6年)頃から大輪寺で生活をはじめたそうですが、昌幸が1611年(慶長16年)に高野山で世を去った2年後に亡くなりました。境内東方墓地に寒松院の墓所があります。
大輪寺の観光情報
住所 | 長野県上田市中央北1-5-7 |
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開館時間 | 終日開放 |
拝観料 | 志納 |
アクセス | JR上田駅から徒歩約20分 |