本丸の東南方向に大きく広がる乙女ケ池(おとめがいけ)は琵琶湖の内湖ですが、古地図によると大溝城ではこれを外堀として利用していました。
そのことから「鴻溝城」とも呼ばれています。
案内板があります。
乙女ヶ池
この内海は、天平宝字(てんぴょうほうじ)八年(七七四)「恵美押勝(えみのおしかつ)の乱」の戦場となり、敗れた押勝(藤原仲麻呂)とその一族郎党が捕らえられて処刑された「勝野の鬼江(かつののおにえ)」はこの地と推定されている。又、背後の山中には「壬申(じんしん)の乱(六七二)」の際、近江朝(大友皇子軍)の基地であった「三尾(みお)城」の存在が考えられるなど、日本の古代史上の二大戦乱の場となった所である。
またこの水域は、古代、びわ湖舟運に欠くことのできない天然の良津であった。今も近くに続く勝野・三尾(水尾)崎・真長浦(まながうら)・香取浦(かとりがうら)が歌枕として『万葉集』に詠まれている。
中世の戦乱期には、当地の武将たちはこの山中に城や砦を築いて領国の護り(まもり)とした。
近世に入ると、軍事上この地を重視した織田信長は、甥の信澄に大溝城を築かせて城主として配した。ここは又、びわ湖に通じる大溝城の外濠としての務めを果たしたのである。
昔は「洞海(どうかい)」と呼んでいたが、昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用された頃から「乙女ヶ池」と呼ぶようになった。
この池は、県有施設として平成三年度から平成五年度の三カ年で水景整備され、釣りを楽しむ人や、歴史とロマンを求めてここを訪ねる人が多い。平成九年三月 高島町教育委員会
坂本城などと同様に、この乙女ケ池を外堀とすることで、直接水路で琵琶湖と通じていたわけですね。
現在の乙女ケ池の真ん中にかかっている橋は「太鼓橋」といいます。
この橋はNHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』のロケにも使用されました。