京極高次が近江八幡へ転封となって以降、無城主となっていた大溝城に1619年(元和5年)、分部光信が伊勢国上野より2万石で入封しました。
しかし、このとき「元和の一国一城令」の対象となったため、三の丸を残して破却され、三の丸に陣屋を構えました。分部氏はその後明治維新を迎えるまで、11代つづいています。
当時の遺構として、陣屋の長屋門が扉がないものの現存しています。
1755年(宝暦5年)に大改修が施された門で、当初は民家として使われていましたが、高島市が買い上げ、現在は市の指定文化財として管理されています。
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