七尾城
七尾城

[石川県][能登] 石川県七尾市古屋敷町タ8-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.61(--位)
  • 見学時間:1時間1分(--位)
  • 攻城人数:1695(99位)

長屋敷(大堀切)

現在、長屋敷には立ち入ることができません。

七尾城本丸北駐車場のすぐそばに堀切があります。
この大規模な堀切は、本丸と長続連の屋敷(長屋敷)を遮断するために設けられたものだとされています。

右手が本丸、左手が長屋敷でした。

堀切り(関東堀)
本丸と長屋敷を遮断するために尾根を人工的に掘削した大規模な堀です。
古絵図(江戸時代終頃)には、橋(関東橋)が架けられていた様子が描かれています。

元禄期に描かれたとされる「七尾城絵図」によれば、長屋敷と本丸は「関東橋」でつながって行き来できたようですが、橋跡を確認することはできません。
また標高が本丸より20mほど高い位置にあり、畠山氏末期に長家が実験を握っていたという伝承もありますが、詳細は不明です。

調査によれば、虎口が3か所確認されています。
この部分は上杉・前田両氏の改修が及んでいない部分と推定され、天正期に入ってからの畠山氏の遺構と思われます。

提供:七尾市教育委員会文化課(赤丸は攻城団が加筆)
   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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