七尾城
七尾城

[石川県][能登] 石川県七尾市古屋敷町タ8-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.94(23位)
  • 見学時間:1時間20分(64位)
  • 攻城人数:710(89位)

七尾城の歴史

築城から廃城まで、約170年間にわたる七尾城の歴史を時系列でまとめています。

七尾城の歴史

(1)七尾城のおこり

七尾城は、能登畠山氏が築いた詰(つめ)の城(戦時に立てこもるための城)で、築城時期は不明ですが、15世紀の末頃には使用された形跡があります。
その七尾城を住むための城として大規模に改築したのが、16世紀前半の能登畠山氏第7代当主の畠山義総(よしふさ)でした。義総は府中(現在の七尾市中心部)にあった守護所(守護が住んでいた平地の館)から七尾城に移り、ふもとに城下町をつくって家臣や職人・商人などを住まわせました。
当時畠山家は隣国の加賀一向一揆と対立しており、能登国内にも何度か攻められたこともありました。そのため平地の館よりも防御力に優れた山上の城に住居を構えたほうがよいと考えたようです。

七尾城跡本丸付近を上空から[七尾城]
提供:七尾市教育委員会文化課 | 七尾城跡本丸付近を上空から[七尾城]

(2)七尾城の繁栄

義総は京都から公家や禅僧などの文化人を七尾城に招き、京都の文化を能登に広めました。
七尾を訪れた京都の東福寺(臨済宗)の住持の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)は『独楽亭記(どくらくていき)』という詩をつくり、山の頂上にそびえる義総の御殿や山麓に広がる城下町、その周りに広がる農村・漁村のながめを絶賛し、当時の畠山家の繁栄ぶりをうたっています。ほかに『独楽亭記』の中では、重臣・温井総貞の屋敷が七尾城山の中腹の大石谷にあったことがうかがえます。
のちに京都で活躍し、安土・桃山文化を代表する絵師となる長谷川等伯(とうはく)もこの七尾の城下町で生まれ育っています。
また城下町の発掘調査では、武家や職人の屋敷跡や生活用品、職人が使っていた道具が出てきています。とくに金の坩堝(るつぼ)(金を溶かすための容器)は、七尾城下町で金の加工がおこなわれていたことを証明しています。

七尾城の歴史・沿革

西暦(和暦)出来事
1514年(永正11年)前年からの能登の内乱で七尾の地名がはじめてあらわれる。
1515年(永正12年)内乱が終結。畠山義元が死去し、義総が当主となる。この頃に府中の守護所から七尾城に本拠を移す。
1517年(永正14年)京都の公家の冷泉為広がはじめて七尾城を訪れる。以後約30年間にわたって多くの文化人が七尾城を訪れる。
1544年(天文13年)京都東福寺住持の彭叔守仙が『独楽亭記』で七尾城と城下の情景を詩にする。
1545年(天文14年)畠山義総が死去、畠山義続が当主となる。
1550年(天文19年)遊佐続光・温井総貞ら七頭が反乱を起こし、七尾城を包囲する。
1551年(天文20年)畠山義続が出家して七尾城を明け渡し、七頭と和睦。畠山七人衆が成立する。
1553年(天文22年)遊佐続光が反乱を起こし、敗れて越前に逃亡。畠山七人衆のメンバーが入れ替わる。
1555年(弘治元年)温井総貞が死去する。遊佐続光の帰国後に温井続宗らが反乱を起こし、七尾城を包囲する。
1558年(永禄元年)七尾城軍が包囲を破り、温井続宗らの拠点勝山城を落とし、続宗らを討ち取る。
1560年(永禄3年)温井軍が能登から撤退し、畠山義綱が当主としての活動を本格化する。
1566年(永禄9年)遊佐続光・長続連ら重臣が畠山義綱を追放し、幼少の畠山義慶を当主とする。
1567年(永禄11年)畠山義綱が上杉家の支援で能登帰国をはかり、七尾城に迫るも撤退。
1574年(天正2年)畠山義慶が毒殺され、弟の畠山義隆が当主となる。
1576年(天正4年)上杉謙信の第1次能登出兵。七尾城を包囲する。
1577年(天正5年)上杉謙信の第2次能登出兵。遊佐続光の寝返りにより七尾城は落城し、能登畠山氏は滅亡する。
1580年(天正8年)畠山旧臣が上杉軍を能登から追放し、織田家に七尾城を明け渡す。七尾城には菅屋長頼が入る。信長の命で遊佐続光・盛光父子が殺害され、温井景隆・三宅長盛らは越後へ逃亡する。
1581年(天正9年)前田利家が信長から能登一国を与えられ、七尾城に入る。
1582年(天正10年)荒山・石動山の戦いで前田利家・佐久間盛政の連合軍と温井景隆・三宅長盛・石動山の僧兵の連合軍が戦い、温井・三宅は戦死。石動山も焼き討ちにされる。
1583年(天正11年)前田利家が賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉から加賀北部を与えられ、金沢城に本拠を移す。七尾城には利家の兄の前田安勝が入る。
1585年(天正13年)七尾城下の寺院の所口町への移転がはじまる。越中の佐々成政が秀吉に降伏し、小丸山城への引っ越しが本格化する。
1591年(天正19年)この頃までに小丸山城への移転がほぼ終わり、七尾城は廃城となる。
1596年(文禄5年)七尾の城下町の小丸山城下への移転が完了する。
このページに記載してある内容の大半は、(公財)石川県埋蔵文化財センターの川名俊さんに寄稿していただきました。ありがとうございます!
   
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