七尾城
七尾城

[石川県][能登] 石川県七尾市古屋敷町タ8-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.95(20位)
  • 見学時間:1時間21分(54位)
  • 攻城人数:786(86位)

七尾城の石垣について

七尾城の石垣については、2010年度(平成22年度)から5年にわたって石垣など地表にみえる(石材の使用)箇所の位置や規模が調査されました。
現時点でわかっていることなどを以下にまとめます。

  • 石垣は野面積みで築造され、用いられる岩石種は、花崗岩(かこうがん)と流紋岩(りゅうもんがん)が大半で、わずかに安山岩がみられる
  • 使用されている石は城山一帯の地層を構成する城山礫岩(れきがん)層に含まれる岩石で、おもに山麓にかけての谷筋の沢から運ばれたと考えられる
  • 高さが2mをこえる規模が大きい石垣は本丸から二の丸にかけての斜面で見られる
  • 本丸北側、桜馬場北側・北西側・南側、温井屋敷西側の段状に築造された石垣は、犬走りを設けなかがら積み上がっており、裏込石は確認できない
  • 石垣の大半は積み直しであり、当時のままではない(とくに遊歩道沿いの石垣はほとんどが積み直し)
  • あくまでも積み直しであり、江戸期の絵図にはほぼ同位置に石垣が描かれているので、当時は石垣が存在していたと考えられる
  • 桜馬場および温井屋敷の西斜面(二の丸との間)、三の丸の石垣は比較的旧状を維持している
  • 西の丸櫓台、二の丸の石垣は縄張りから前田利家による築造と考えられ、利家が七尾城に入城直後、1581年(天正9年)頃に築かれたと推定される
  • 温井屋敷の西斜面と二の丸の東側通路の2か所だけ、切石を使用して裏込石を伴った算木積みの石垣が確認されており、前田利家の入城後に構築されたと思われる(金沢城の支城である石川県白山市の舟岡城の石垣と形式が一致する)
  • 前田氏時代の石垣は本丸から三の丸を中心とした主要曲輪群周辺に多数残っており、入城直後の1581年(天正9年)だけでなく、1582年(天正10年)以降にも構築されていると考えられる
参考資料:『史跡七尾城跡石垣調査報告書』(​2015年3月、七尾市教育委員会)、『能登中世城郭図面集』(2015年8月、佐伯哲也)
   
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

七尾城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

本庄氏と色部氏 (中世武士選書 第 9巻)

中世武士選書シリーズはすべて渋すぎるラインナップだと思っていますが、その最たるものの一つではないでしょうか。本庄氏・色部氏と聞いて「ああ、上杉の」と言える人はどれくらいいるでしょうか。そんなローカルネタ満載のこの本を紹介する理由は、本庄繁長が大好きだからです。村上城・平林城が気にいった方々ならさらにオススメします。謙信登場前史も面白いですよ。

まーPさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る