温井屋敷跡の西側にある内枡形虎口の石垣には、横幅が九尺(約2.7m)ある「九尺石」と呼ばれる巨石があります。
(発掘調査がおこなわれていないため、内枡形虎口と断定はできないようです)
七尾城は本丸に至る道筋が尾根沿いに何本もあったといわれており、当時はここに大手門があったとする説もあります。
ただし現在の虎口付近は崩落が激しく、原形はほとんどとどめていません。
石垣、とくに門である虎口に巨石を用いた事例は多数ありますが、これらはいずれも権力を誇示することが目的であり、畠山氏が守護の権力を「見せる」ために演出として構築したとも考えられています。
また権力を誇示するにはもっとも往来が多いところに使うのが自然ですから、ここが当時の大手門と考えられているというわけです。
なおこの虎口の構築者が畠山氏なのか前田氏なのかは、発掘調査がおこなわれていないため判別できませんが、九尺石の上部に凹凸がありすぎることや、整地面が存在していないと推測されることから、畠山氏が導入されたと考えられています。
(前田氏時代であればもう少し石垣の加工・構築技術が進んでいるため)
温井屋敷の西側、九尺石の裏側にある櫓台は前田利家が入城したあとに構築したものと推定されています。