七尾城本丸跡付近の石垣に近づくと調度丸跡という場所にでます。
調度丸はかつて弓などの武具(調度)を整えた場所と伝えられています。ガイドブックなどではここの写真が紹介されることが多いです。「国指定史跡七尾城跡」の案内板もあります。
古道(旧大手道)から登ってくる人のために七尾城の案内板が掲示されていますので内容を紹介します。
国指定史跡七尾城跡
この城跡は、室町時代能登国の守護であった畠山氏が、歴代居城としたところである。石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約三〇〇メートルの山頂部を削平して本丸を置き、これを中心として急峻複雑な地形を巧みに利用し、東方に長屋敷、西方及び北方にかけて西の丸、二の丸、三の丸等を構えた規模雄大な山城である。
天正五年(一五七七)九月、上杉謙信がこの城を囲んだ際、折からの月明に簡単して詠じたと伝えられる漢詩
霜満軍営秋気清 数行過雁月三更
越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征 が、広く世に称賛されたことで、本城の名を高めている。
その後、幸いにも自然災害や開発等の厄にもあわず、各尾根上の郭跡や石垣はよく保存され、わが国中世における山岳城郭史上優れた遺跡として昭和九年十二月二十八日国の史跡に指定された。