安寧寺跡は三の丸の下にある削平地です。
ここに安寧寺がいつ建立されたのかは不明ですが、元禄時代頃に描かれた七尾城絵図に「安寧寺」とあることから、遅くとも江戸時代には安寧時があった(もしくは「安寧寺」と呼ばれていた)ようです。
廃城前にどのように使われていたのかは現在は伝承もなく不明です。
安寧寺はいつ創建されたのか
現在の七尾城内にある地名は江戸時代になってから付けられたものなので、当時の場所とはおそらく一致しません。ただ、城内に安寧寺と呼ばれる寺があった可能性は十分考えられます。山城内の寺は宗教施設としての性格の他に、外からやってきた客のための宿泊施設としての性格も持っていたという例もあります。(公財)石川県埋蔵文化財センター・川名さん
現在は畠山廟や、戦没者を弔う慰霊碑が建立されています。
また毎年開催される「七尾城まつり」では「安寧寺祭」という慰霊祭が七尾城址保存会によって営まれています。