七尾城
七尾城

[石川県][能登] 石川県七尾市古屋敷町タ8-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.39(--位)
  • 見学時間:53分(--位)
  • 攻城人数:1706(102位)

安寧寺跡(畠山廟)

安寧寺跡は三の丸の下にある削平地です。
ここに安寧寺がいつ建立されたのかは不明ですが、元禄時代頃に描かれた七尾城絵図に「安寧寺」とあることから、遅くとも江戸時代には安寧時があった(もしくは「安寧寺」と呼ばれていた)ようです。

廃城前にどのように使われていたのかは現在は伝承もなく不明です。

安寧寺はいつ創建されたのか
現在の七尾城内にある地名は江戸時代になってから付けられたものなので、当時の場所とはおそらく一致しません。ただ、城内に安寧寺と呼ばれる寺があった可能性は十分考えられます。山城内の寺は宗教施設としての性格の他に、外からやってきた客のための宿泊施設としての性格も持っていたという例もあります。(公財)石川県埋蔵文化財センター・川名さん

現在は畠山廟や、戦没者を弔う慰霊碑が建立されています。

また毎年開催される「七尾城まつり」では「安寧寺祭」という慰霊祭が七尾城址保存会によって営まれています。

提供:七尾市教育委員会文化課(赤丸は攻城団が加筆)
   

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今日のレビュー

大阪城話

ブックオフで見つけました。知る人は知る、知らない人は知らない本の内容です。
①大阪城と和歌山城は兄弟(姉妹)城の関係に有る
②名護屋城博物館所蔵の「肥前名護屋城図屏風」は世に出る前、小さく折り畳んだ状態で大阪城天守閣に持ち込まれた
③江戸時代の時間は日の出と日の入りを境に一日を二分し、それぞれ六等分して一時(とき)としたので、夏至・冬至の頃は昼と夜の時間が倍ほど違った
⑤大阪城石垣のふるさとの小豆島には「大阪城残石記念公園」がある
等でなかなか興味を引かれましたが、後半は著者の個人的な話が多くもう一つかも。

麒麟法師(仮)さん)

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