七尾城
七尾城

[石川県][能登] 石川県七尾市古屋敷町タ8-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.75(--位)
  • 見学時間:1時間11分(--位)
  • 攻城人数:1668(98位)

遊佐屋敷

本丸のすぐ下の曲輪が重臣であった遊佐氏の屋敷跡と伝えられています。
遊佐氏は南北朝時代に畠山氏が奥州探題となって赴任した頃からその重臣となり、一族はそれぞれ出羽国、河内国、能登国、越中国にわかれ、能登国では遊佐秀頼(ゆさひでより)、遊佐続光(ゆさつぐみつ)が当主を傀儡化して、専横のかぎりを尽くしたとされます。

ほぼ中央に一辺11m、高さ0.8mの基檀(建造物をその上に建てるためにつくった土盛りや石積みのこと)があり、礎石列も存在していますが、ここにどんな建物があったかは不明です。

なお石積みが崩れているのはイノシシが餌を探して掘り返すからだそうです。

遊佐続光は親上杉派として、親織田派であった長続連と対立することになりますが、1577年(天正5年)の「第二次七尾城の戦い」で能登に侵攻してきた上杉謙信に内応し、続連の一族をことごとく殺害すると、謙信に降り能登の実権を手に入れました。

しかし翌年に謙信が没すると、ふたたび織田軍が能登に侵攻し、続光はすぐに降伏しましたが、信長は長一族を殺した罪を許さず、処刑されました。

遊佐屋敷跡
 この曲輪(くるわ)は、本丸のすぐ西側に接し、七尾城跡の中心部にあることから城主に次ぐ守護代の(しゅごだい)の地位にあった遊佐氏の屋敷跡と伝えられている。
提供:七尾市教育委員会文化課(赤丸は攻城団が加筆)
   

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全国 御城印 大図鑑

御城印を集めるということには、あまり興味なかったのですが、攻城団のはじめての出版本ということで常購入いたしました。購入前の想像を覆す、それぞれの城の簡潔明快な説明文と共に、それぞれの城独自の御城印が面白く、食わず嫌いだったことに反省させられました。多くの人達が夢中になるのも納得です。僕みたいに、あまり御城印に興味なかった人、城に関して興味のなかった人、そしてお城訪問したい初心者にも、とても親切で、新しい世界に招き入れてくれるステキな本を手にしました。次の城からは、御城印に手を出してしまうかもしれない自分を感じます。

片桐且元さん)

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