御橋廊下は藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を結んでいたとされる廊下橋で、江戸時代に藩主とお付きの者だけが通ることを許されました。
こうした廊下橋は福井城などでも見られますが、和歌山城のように勾配があり、斜めにかかるものは全国的にも珍しいです。
江戸時代の図面をもとに、2006年(平成18年)3月に復元されました。
史跡和歌山城 復元・御橋廊下(おはしろうか)
御橋廊下は、藩主とお付きの人だけが二之丸と西之丸を行き来するために架けられていた橋で、屋根を設け、外から見えないように部屋の廊下のような作りになっていました。斜めに架かる廊下橋としては全国的にもめずらしい構造です。
和歌山市では、和歌山城整備工事の一つとして、平成11年(1999)から御橋廊下復元工事のため史料調査や発掘調査を行い、堀底から礎石や瓦などが出土しました。これらの成果にもとづいて、御橋廊下が復元されました。
長さ 約26.7m
幅 約2.95m
勾配 約11%西之丸(にしのまる)
この説明板の建っている一帯は、江戸時代、西之丸と呼ばれていた所です。西之丸は、紀州藩初代藩主徳川頼宣(1602〜1671)の隠居所として築造されました。
江戸時代に描かれた「和歌山西丸図」は、西之丸に建っていた建物や庭(現在の名勝・紅葉渓庭園)などをくわしく描いています。これによると、御座之間(御上段・御次・御三之間)や御数寄屋、そして松の樹の横には能舞台などの施設があり、また、内堀の一部を利用した庭園には、地形の起伏を巧みに利用して懸造り(かけづくり)構造の聴松閣(ちょうしょうかく)や水月軒(すいげつけん)と名づけられた茶室が建っていたことがわかります。さらに、堀につき出た鳶魚閣(えんぎょかく)や西之丸と二之丸を行き来するための御橋廊下が堀上に架けられていたことがわかります。
このように、西之丸は藩主の隠居所として築造されましたが、能や茶道などの数寄を楽しみ、また自然風雅を楽しむ場所でもありました。
じっさいに中を通ることができます。
土足厳禁で靴を脱ぐ必要があるので、革靴やブーツだと大変かもしれません。
出口です。