追廻門は1629年(寛永6年)に創建された高麗門で、砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結んでいます。馬を追い回したことから「追廻門」と呼ばれました。
1984年(昭和59年)から翌1985年(昭和60年)にかけて行われた解体修理により、江戸時代には朱が塗られていたことがわかりました。
一般にこうした赤門は御守殿(三位以上の大名家に嫁いだ徳川将軍家の娘)の住む御殿の門として建てられますが、和歌山城の場合は二の丸の「御座の間」(藩主の居所)から見たときに裏鬼門(南西)の方角に当たるため、魔除けのために赤く塗られたと推測されています。