天守台から少し下がったところに、本丸御殿があります。
かつては14代藩主・徳川茂承の夫人であり皇族でもある、倫宮則子(みちのみやのりこ)が住んでいたことから、「宮様御殿」とも呼ばれていました。
本丸御殿跡
この地の上段を本丸御殿跡という。
本丸御殿は天守閣附随建物として元和年間に創建されたもので中央に「七福の庭」を配していた。当御殿には文久三年(一八六三)三月十日から翌年十月二十六日まで十四代藩主徳川茂承(もちつぐ)公夫人(倫宮則子)が住まわれ、「宮様御殿」とも称された。ここに正室が住まわれたのは実に始祖徳川頼宣公以来のことであった。
廃藩後この御殿の一部が移築された市内小倉光恩寺の庫裡(くり、御殿の御台所)は現在唯一の建造物である。本丸御殿跡には大正十二年(一九二三)上水道貯水池が設置され現在に至っている。
上から見ると、けっこう急な階段であることがよくわかります。
現在、本丸御殿跡には1923年(大正12年)に設置された上水道貯水池があり、残念ながら中に入ることはできません。
1621年(元和7年)に造られた本丸庭園には、宝船を模した「七福の庭」がありましたが、上水道貯水池の設置に伴い松の丸跡に移され、新裏坂もこの頃つくられたそうです。
ただしここから見る天守はなかなか迫力があるので、撮影ポイントのひとつです。