茨木城の本丸跡にある茨木市立茨木小学校には正門として櫓門が復元されています。
1993年(平成5年)5月22日、茨木小学校の創立120周年を記念して建てられました。
茨木城櫓門(やぐらもん)について
人々の歴史は、その土地と深く結びついたものであり、そこに残された遺産は、その土地の歴史を知る上で大切です。
本市にも様々な文化遺産が残されていますが、現在の茨木小学校北部に茨木城の本丸があったとされています。今なお遺構(堀や門など)を残す茨木城の城跡である茨木小学校に、大和郡山市小泉の慈光院に移設された茨木城櫓門を、原寸大の木造瓦葺きで復元しました。復元は、市史をはじめ歴史書や文学作品に登場する本史蹟を顕彰し、先人の生活を知り、郷土を再発見し、郷土への理解と愛着を深め、郷土愛の醸成に寄与することを目的としています。
茨木城は建武年間に楠木正成によって築かれたのが始まりと伝えられています。十五世紀から十六世紀前半頃まで茨木氏が城主であったと推定され、その後、次々城主は変わりました。中でも有名なのは中川清秀と片桐且元です。
茨木城にゆかりのある人物として、中川清秀の妹婿の武将であるとともに茶人としても名高い古田織部があげられます。正門横の土塀の校名は織部が好んだ織部焼きで作られています。
なお、茨木城は元和元年(一六一五)の一国一城令によって廃城となりました。
作家の志賀直哉も好んだといわれる本物の茨木城の櫓門は、奈良県大和郡山市にある慈光院の表門(茨木門)として移築されており、こちらは屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えていますが、復元された櫓門は桟瓦葺になっています。
(当時は本瓦葺だったのですかね)
また、門の内側には茨木城址の石碑があります。
小学校の敷地内のため、入るには学校の許可が必要です。
ぼくが訪問したときはちょうど掃除の時間で先生が近くにいらっしゃったのですが、時間帯によっては無理かもしれません(同じ理由で週末はむずかしいかも)。
櫓門の裏側です。
余談ですが、案内にあるように茨木小学校のプレートは織部焼きだそうです。渋いですよね。