小城陣屋唯一の遺構がこの小城藩邸正門前の石橋です。
現在の桜丘小学校の近くにあります。駐車場にわたるための現役の橋として利用されていました。
小城藩邸跡について書かれた案内板があります。
小城藩邸跡(おぎはんていあと)
小城藩邸は、桜岡(当時は娑婆岡(しゃばおか))にあった小城鍋島家初代元茂(もとしげ)の邸宅に始まった。元茂の頃は小城には常住(じょうじゅう)しておらず、佐賀城西ノ丸に居住していた。その後、二代直能(なおよし)が娑婆岡を桜岡と改め、屋敷をつくり隠居所とした。三代元武(もとたけ)がここを正式に居住所とし、藩邸が成立した。
佐賀藩では三支藩の小城、蓮池、鹿島はともに無城格(むじょうかく)で、その屋敷は陣屋(じんや)・館(やかた)と称されていた。藩邸のようすは、旧桜岡城略図(きゅうさくらおかじょうりゃくず)や江戸時代後期の絵図(えず)によって知ることができる。現在残されている正門前の石橋を渡ると右手に表御殿があり藩邸の玄関は小城高校体育館付近にあった。邸内には書院、能舞台、使者の間など多くの部屋があった。藩邸の回りには小路(こうじ)と呼ばれる武家屋敷が形成され、藩邸の東側に朝日町、大手町、正徳町などの町人の町がつくられた。
藩邸は、廃藩置県(はいはんちけん)後の明治十五(一八八二)年頃に解体され、正門前の石橋が唯一残っているのみである 平成二十年三月 小城市教育委員会
小城公園(桜岡公園)から徒歩5分ほどのところにありますが、周囲の風景と同化していて少しわかりにくいです。
地図を参考に探してください。