二の丸南側には一番櫓から七番櫓まで、7基の隅櫓が建てられていました。
そのうち現存するのはこの一番櫓と六番櫓のみで、重要文化財に指定されています。
重要文化財 一番櫓(いちばんやぐら)
二の丸南側の石垣上には、2層2階でほぼ同規模の隅櫓【すみやぐら】が、東から西へ一番から七番まで建っていた。この櫓は最も東に位置することから「一番櫓」という。外側にあたる東面と南面を中心に窓が16あるほか、鉄砲や矢を放つための狭間【さま】も多数あけられ、玉造口【たまつくりぐち】に攻め入る敵を側面から一斉に迎撃することができた。東面には石垣を登ろうとする敵を撃退する石落しも設けられている。創建は徳川幕府による大坂城再築工事の最終段階にあたる寛永5年(1628)と考えられ、戦後の解体修理の際に発見された部材の墨書銘により、創建後の主な修復は万治年間(1658~61)・寛文8年(1668)・天保3年(1832)の3度だったと推定される。中でも天保3年は解体をともなう大規模なもので、建物下の粟石【ぐりいし】の間から当時のものと見られる衣類が検出されている。面積は1階が約167.98平方メートル、2階が約96.31平方メートル、高さは約14.3メートルである。なお、一番から七番までの櫓のうち、現存するのはこの一番櫓と六番櫓のみである。Ichiban-yagura Turret
This is one of the seven turrets built on the stone walls on the south of the Ni-no-maru (Outer Bailey). The Ichiban-yagura Turret comes first when counted from the east, which accounts for the name ichiban, meaning first. The turret had many windows, especially on its exterior, and could attack, from the side, any enemies who attempted to invade the castle through the Tamatsukuri-guchi Entrance. Additionally, the turret had a device to drop stones in order to repel enemies climbing the stone wall. The turret is considered to have been built during the early Edo period in 1628, and out of the seven turrets, only the first and sixth turrets remain today.