大阪城
大阪城

[大阪府][摂津] 大阪府大阪市中央区大阪城1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.87(20位)
  • 見学時間:1時間49分(7位)
  • 攻城人数:5368(6位)

南仕切門跡・太鼓櫓跡

大坂城の二の丸は、大手門から入ってすぐにある西側と、桜門がある南側とが、南仕切門によって区切られていました。
かつてここには門とともに太鼓櫓もありましたが、いずれも明治維新(戊辰戦争)の際に焼失してしまいました。

南仕切門跡(みなみしきりもんあと)・太鼓櫓跡(たいこやぐらあと)
 二の丸の西と南の区域は石垣によって仕切られ、通路にあたるこの個所に建っていたのが南仕切門である。また門の西側石垣の上には太鼓櫓とよばれる二層の櫓があり、ともに徳川幕府による大坂城再築工事の最終段階にあたる寛永5年(1628)に創建されたと考えられる。太鼓櫓は城内の櫓のうち最も小規模で、中に太鼓が納められていた。ここには太鼓坊主とよばれる僧形【そうぎょう】の役人が交替で詰め、彼らは香【こう】をたいて時刻を計り、城内勤務の大名や旗本以下の招集や交替、あるいは緊急時に太鼓を打ち鳴らした。いずれの建物も慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火によって焼失した。
Sites of Minami-shikirimon Gate and Taiko-yagura Turret
The western and southern sections in the Ni-no-maru (Outer Bailey) were divided by two stone walls, and access between the divided sections was provided by a gate called the Minami-shikirimon, literally, a south-dividing gate. On the stone wall west to this gate, stood a turret called the Taiko-yagura, or drum turret. Both of these structures are considered to have been built in 1628, during the early Edo period. The Taiko-yagura Turret housed a drum, which was beaten to summon samurai working in the castle, signal the change of a shift, and alert people of emergencies. Both structures were lost in fire during the Meiji Restoration in 1868.

なお、ここからまっすぐ先にあるのが重要文化財の六番櫓で、門に正対して背中側にあるのが西の丸庭園です。

   

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天下 家康伝 上 (文春文庫)

徳川家康の生涯を描いた小説です。
大阪の陣が終わり江戸から駿府に向かう途中、泉頭の地で過去を回想する場面から始まります。一向一揆との戦い、三方ヶ原での敗北、嫡男信康の自刃、伊賀越えの窮地、小牧・長久手での辛酸、多くの出来事が家康の心情とともに描かれます。「家康の考える天下とは何か」が物語の主軸となっており、家康の生き様を感じることができました。
本作品は大河ドラマ「天地人」の原作者でもある火坂雅志氏の遺作になります。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

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