大阪城
大阪城

[大阪府][摂津] 大阪府大阪市中央区大阪城1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.81(24位)
  • 見学時間:1時間45分(7位)
  • 攻城人数:5823(6位)

南仕切門跡・太鼓櫓跡

大坂城の二の丸は、大手門から入ってすぐにある西側と、桜門がある南側とが、南仕切門によって区切られていました。
かつてここには門とともに太鼓櫓もありましたが、いずれも明治維新(戊辰戦争)の際に焼失してしまいました。

南仕切門跡(みなみしきりもんあと)・太鼓櫓跡(たいこやぐらあと)
 二の丸の西と南の区域は石垣によって仕切られ、通路にあたるこの個所に建っていたのが南仕切門である。また門の西側石垣の上には太鼓櫓とよばれる二層の櫓があり、ともに徳川幕府による大坂城再築工事の最終段階にあたる寛永5年(1628)に創建されたと考えられる。太鼓櫓は城内の櫓のうち最も小規模で、中に太鼓が納められていた。ここには太鼓坊主とよばれる僧形【そうぎょう】の役人が交替で詰め、彼らは香【こう】をたいて時刻を計り、城内勤務の大名や旗本以下の招集や交替、あるいは緊急時に太鼓を打ち鳴らした。いずれの建物も慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火によって焼失した。
Sites of Minami-shikirimon Gate and Taiko-yagura Turret
The western and southern sections in the Ni-no-maru (Outer Bailey) were divided by two stone walls, and access between the divided sections was provided by a gate called the Minami-shikirimon, literally, a south-dividing gate. On the stone wall west to this gate, stood a turret called the Taiko-yagura, or drum turret. Both of these structures are considered to have been built in 1628, during the early Edo period. The Taiko-yagura Turret housed a drum, which was beaten to summon samurai working in the castle, signal the change of a shift, and alert people of emergencies. Both structures were lost in fire during the Meiji Restoration in 1868.

なお、ここからまっすぐ先にあるのが重要文化財の六番櫓で、門に正対して背中側にあるのが西の丸庭園です。

   

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猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

こうの)

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