大坂城の天守のすぐ近くには江戸時代に幕府の金庫として使われた金蔵があります。
この金像は1751年(宝暦元年)に築造されたもので、重要文化財に指定されています。
重要文化財 金蔵(きんぞう)
江戸時代、幕府の金貨、銀貨を保管した建物で、幕府直営の金庫として役割を果たした。「かねぐら」「かなぐら」とも読む。宝暦元年(1751)、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断・改造して築造され、以来、北西側に以前からあった金蔵を「元御金蔵【もとごきんぞう】」、この金蔵を「新御金蔵【しんごきんぞう】」と呼んだ。高さは約5.8メートル、面積は93.11平方メートルで内部は大小2室からなり、手前の大きな部屋には通常の出納用、奥の小さな部屋には非常用の金銀を置いた。構造は防災と防犯に特に工夫がこらされ、床下は全て石敷き、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられている。なお元御金蔵は、明治25年(1892)の配水池建設にともなって今の金蔵の東隣に移築され、さらに昭和4年(1929)、陸軍によって高槻工兵隊の敷地内に解体移築され、のちに焼失した。Kinzo Storehouse
placed under direct control of the Tokugawa shogunate, this building was used as a storehouse, keeping a large amount of gold and silver coins. It was built in 1751 and called shin-gokinzo, or new kinzo, in order to distinguish it from another kinzo building built earlier, which was called moto-gokinzo, or older kinzo. The new kinzo is characterized by enhanced disaster resistance and security--its under-floor space is entirely covered by stones, and the entrance and windows are provided with thick doors and iron bars. The moto-gokinzo building was relocated to the outside of castle in 1929 and lost in fire later.