日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1864年(元治元年)、五稜郭内に箱館奉行所がおかれました。
しかし大砲の標的となることを防ぐ目的で建物を低く設計したために、政庁を置くスペースがなくなったそうです。
低く設計したにもかかわらず、箱館戦争の際には建物の天辺にある楼閣が、官軍の軍艦の艦砲射撃の格好の標的となりました。
それを知った旧幕府軍は慌てて楼閣部分を撤去しましたが、射撃角度をかなりの精度で知られてしまい、要塞内に次々と着弾し、この時点で五稜郭の要塞としての機能は失われていたと思われます。
箱館戦争終結後の1871年(明治4年)には建物が解体されましたが、2006年(平成18年)7月13日から当時の図面・古写真・文献資料に基づき函館市による復元工事が着工し、2010年(平成22年)7月29日に完成し、一般公開されることとなりました。