御着城
御着城

[兵庫県][播磨] 兵庫県姫路市御国野町御着1142-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.84(--位)
  • 見学時間:25分(--位)
  • 攻城人数:384(302位)

黒田家廟所

姫路市東出張所前の御着城跡公園から脇に少し入ったところに黒田家廟所があります。

すぐ近くに見えているので、迷うことはないと思います。
姫路市東出張所を前に見て左側です。
(方角としては姫路城の方向です)

ここに眠るのは官兵衛の祖父である黒田重隆と、生母(明石氏)の2名です。

黒田家廟所
 ここの墓所には、黒田孝高(よしたか)《官兵衛のちの如水》の祖父・重隆(しげたか)と生母(明石氏)の2人がまつってあります。
 黒田家は御着城主小寺家の家老となり、重隆の時から姫路城を守って姫路城主となりました。姫路城主は子の職隆(もとたか)、孫の孝高とつぎましたが、1580(天正8)年秀吉の播磨平定の時、孝高は姫路城を秀吉に譲り、父職隆と自分は国府山城(妻鹿)に移りました。職隆の墓所は妻鹿にあります。のちに黒田家は筑前福岡の城主となったので、どちらの墓所も地元では「チクゼンサン」と呼んでいます。
 ここの墓所は、1802(享和2)年に資材を九州から運んできて造られました。廟屋を持つ立派なもので、周りの龍山石の石碑から内部は、昭和56年に姫路市指定史跡となっています。
Kurodake Byousyo (Graveyard of the Kuroda family)
This graveyard enshrines Shigetaka, a grandfather of Yoshitaka Kuroda (Kanbei, later called Jyosui) and Yoshitaka's mother, Akashi.
The Kuroda family was a Karo (a chief retainer) of Gochaku castle load, the Kodera family. Later, Shigetaka became the load of Himeji Castle. Then, the load of Himeji Castle was succeeded to his son, Mototaka and his grandson, Yoshitaka. When Hideyoshi conquered Harima area in 1580, Yoshitaka handed over Himeji Castle to Hideyoshi, and then the Kuroda family moved to Kouyama Castle in Mega town of Himeji. There is a graveyard of Mototaka in Mega town. Later, the Kuroda family became the load of Chikuzen-Fukuoka, so these graveyards of Himeji are called "Chikuzensan".
This graveyard is built by materials transported from Fukuoka. It was designated as a Himeji City Important Cultural Property in 1981.

平成25年3月 姫路市教育委員会 姫路市文化財保護協会

   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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