1614年(慶長19年)に築城された高田城には天守はありませんでした。
そのかわりに本丸南西隅の土塁上に2重の櫓を建て、天守の代用としていました。当時の二重櫓の外観は不明ですが、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられています。
その後の1665年(寛文5年)、松平光長の時代に起きた高田地震により倒壊し、あらたに3重3階の三重櫓を再建しました。
しかしこの「御三重櫓」も1870年(明治3年)に本丸御殿とともに焼失してしまいます。
現在ある三重櫓は1993年(平成5年)に上越市発足20周年記念事業として再建されたものです。
外観を松平光長「本丸御殿図絵」、規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」を基にして復興され、新潟県の史跡に指定されています。
この復興三重櫓の内部は鉄骨構造ですが、随所に木材が使用されており、木造とみまちがうほどです。
三重櫓の規模は東西5間(約9.1m)、南北6間(約10.9m)を基底とし、高さ15mほどで外観は御殿風造りを基調としています。
屋根は1重目・3重目が入母屋、2重目が寄棟形式で、1重目・3重目に切妻屋根の出張りを付けています。
なお、1階、2階は展示室として利用されており、パネルによる解説や甲冑などが展示されています。
3階は展望室になっており、天井は本格的な木組みとなっています。
櫓の東側に付随して50mほどの塀も同時に再建されています。