高田城
高田城

[新潟県][越後] 新潟県上越市本城町6-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.33(84位)
  • 見学時間:1時間4分(64位)
  • 攻城人数:1631(108位)

三重櫓(御三重櫓)

1614年(慶長19年)に築城された高田城には天守はありませんでした。
そのかわりに本丸南西隅の土塁上に2重の櫓を建て、天守の代用としていました。当時の二重櫓の外観は不明ですが、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられています。

その後の1665年(寛文5年)、松平光長の時代に起きた高田地震により倒壊し、あらたに3重3階の三重櫓を再建しました。
しかしこの「御三重櫓」も1870年(明治3年)に本丸御殿とともに焼失してしまいます。

現在ある三重櫓は1993年(平成5年)に上越市発足20周年記念事業として再建されたものです。
外観を松平光長「本丸御殿図絵」、規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」を基にして復興され、新潟県の史跡に指定されています。

この復興三重櫓の内部は鉄骨構造ですが、随所に木材が使用されており、木造とみまちがうほどです。

三重櫓の規模は東西5間(約9.1m)、南北6間(約10.9m)を基底とし、高さ15mほどで外観は御殿風造りを基調としています。
屋根は1重目・3重目が入母屋、2重目が寄棟形式で、1重目・3重目に切妻屋根の出張りを付けています。

なお、1階、2階は展示室として利用されており、パネルによる解説や甲冑などが展示されています。

3階は展望室になっており、天井は本格的な木組みとなっています。

櫓の東側に付随して50mほどの塀も同時に再建されています。

建物内は撮影禁止ですが、ほかにお客さんがいない場合など条件付きで撮影が可能になるようですので、入口で受付係の方に聞いてみるといいでしょう。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

高田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る