極楽橋は高田城の二の丸と本丸をむすぶ橋で、築城時に築かれました。
現在の橋は2002年(平成14年)に復元されたものです。
橋の脇にある案内板の内容を紹介します。
極楽橋 Gokuraku Bridge
極楽橋は、徳川家康の六男 松平忠輝が慶長19年(1614)、高田城を築城した際に、二の丸から本丸に通じる木橋として設けられました。明治41年(1908)には、高田城に入城した陸軍第十三師団によって土塁が切り開かれ堀を埋め立てて陸続きとなった結果、極楽橋はその姿を消しました。現在の橋は、高田公園開園50周年及び市制30周年を記念して平成14年に復元されたものです。極楽橋の復元にあたっては、古文献、史料及び発掘調査等により可能な限り旧形状を再現するよう努め設計を行いましたが、すべてを木造とし旧形態を忠実に復元することは、安全性、構造耐力、法規制、維持管理等の面からさまざまな問題が生じるため、目に見えない構造の根本となる部分は鉄筋コンクリートやPHCパイルを使用した"近代的な工法"を採用し、直接目に見えたり、手に触れる部分は木材や石などを使用した"伝統的な工法"を採用し、復元を行いました。復元工事を行う前に行った発掘調査では3列に整然とならんだ極楽橋の橋脚が見つかっています。右の写真は調査によって発見された橋脚で、6本から7本の木がまとまって見つかっています。