千歳御門は富山城の唯一の創建当初の建造物です。
1849年(嘉永2年)に10代藩主・前田利保の隠居所として建てられた千歳御殿の正門である千歳御門は、三間薬医門といわれる格式の高い城門建築で、現存する同形式の門は東大の赤門(旧加賀屋敷御守殿門)だけという貴重な遺構です。
明治初期に門が解体された際、富山市米田の豪農・赤祖父家に払下げられ移築されていましたが、所有者が富山市に寄贈したため、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて公園内に移築されました。
2012年(平成24年)4月には常時開門されるようになりました。
城内側から見た千歳御門です。
2008年(平成20年)10月29日に富山市指定文化財に指定されています。
市指定文化財千歳御門(埋門)
富山藩一〇代藩主前田利保(まえだとしやす)が隠居所として造営した千歳御殿(現、桜木町に所在)の正門で、嘉永二年(一八四九)に建築されました。当時は、下図に示すとおり城址大通りの東側に位置していました。
総欅(そうけやき)造りの三間薬医門(さんげんやくいもん)で、屋根は切妻造(きりづまづくり)本瓦葺(ほんがわらぶき)、桁行(けたゆき)六メートル、梁間(はりま)一・九メートルになります。同一建築様式の城門は「東大の赤門」として知られる旧加賀屋敷御守殿門(ごしゅでんもん)(国重要文化財・東京都文京区)など数少ないことから、県内はもとより全国的に見ても貴重な江戸時代の城門です。
この門は、明治時代初期に赤祖父家に移されました。その後、富山市が所有者から寄附をうけ、平成十八年から二十年にかけて城址公園内に移築しました。
富山城で唯一現存する千歳御殿の創建当初の建造物です。江戸時代後期の御殿正門の様式や意匠及び技法を知るうえで価値が高く、平成二十年十月二十九日に指定されました。
富山城や千歳御門に関する展示は、郷土博物館で行っています。平成二十四年十二月 富山市教育委員会