萩城
萩城

[山口県][長門] 山口県萩市堀内字旧城1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.66(--位)
  • 見学時間:1時間19分(--位)
  • 攻城人数:1864(92位)

毛利輝元の銅像

萩城二の丸南門跡のところに毛利輝元の銅像が建てられています。

毛利輝元
 毛利輝元は、天文22年(1553)毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城(現在、広島県安芸高田市)に生まれた。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。永禄6年(1563)父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育された。
 織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万国を領有する大大名に成長し、天正17年(1589)広島に居城を築いた。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇ったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封された。慶長9年(1604)、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城した。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心した。
 寛永2年(1625)73歳で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られた。平成16年11月 萩市
   

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