万歳橋は、萩城本丸跡にある指月公園内の志都岐山神社前の庭池に架かる石橋です。
もともと藩校である明倫館にあった石橋で、1849年(嘉永2年)に明倫館が萩城三の丸にあたる堀内から江向に新築、拡充されたときに、諸侯の学校であることを象徴して聖廟前に池を掘り、そこに架けられたのがこの橋です。
1878年(明治11年)、萩城本丸跡内に志都岐山神社の前身である山口の豊栄・野田神社の遙拝所ができたとき、庭池がつくられ現在の場所に移されたといわれています。
江戸時代の藩校の貴重な遺構として、1973年(昭和48年)に萩市の文化財に指定されました。
明倫館(めいりんかん) 遺構(いこう) 万歳橋(ばんせいばし)
嘉永2年(1849)江向に新築された明倫館には、多くの藩校と同じように聖廟(せいびょう)の前に水を巡らし、その中央に石橋が架けてあった。泮水(はんすい)は泮池ともいい、中国上代の形式を模倣したもので、諸侯の学校であることの象徴である。泮は半と同じ意味で、聖廟周囲の南半分にしか水がないことを意味している。橋は花崗岩で造られており、長さ4.05m、幅員3.15mの直橋で、橋脚はなく両岸の石垣の橋台に2本のアーチ式橋桁(はしげた)を渡し、その上に10個の短冊石(たんざくいし)を横に並べて造られており、中国風のデザインを施した太鼓橋(たいこばし)である。萩市