萩城
萩城

[山口県][長門] 山口県萩市堀内字旧城1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.65(--位)
  • 見学時間:1時間19分(--位)
  • 攻城人数:1859(92位)

花江茶亭

指月公園内にある茶室「花江茶亭(はなのえちゃてい)」は、萩藩13代藩主・毛利敬親が1858年(安政5年)頃に、三の丸内の橋本川沿いにあった藩主別邸・花江御殿内に増築した茶室です。明治期に現在の場所に移築されました。

幕末期、敬親はここで家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したといわれています。
現在は外観のみ見学自由となっています。

萩市の指定有形文化財に選ばれています。

萩市指定文化財
花江(はなのえ)茶亭
 花江茶亭は、安政の始め(一八五四年ごろ)、萩藩一三代藩主毛利敬親(たかちか)が花江御殿(川手御殿・常盤江御殿)内に造った茶室である。幕末の多事多難の折、この茶室で藩主は支藩主や家臣たちと茶事に託して、格式を捨てて時勢を論じ国事を画策したといわれる。
 維新後、花江御殿は長屋氏に譲渡されたが、明治二二年ごろ品川弥二郎らが主唱して茶室を買取り、指月公園内の現在地に移築した。
 茶亭は入母屋(いりもや)造、茅葺き(かやぶき)平屋建て、桁行(けたゆき)六・九五メートル、梁間(はりま)三・三八メートル、本床と脇床が付いた六畳(内一畳半は板の間)の茶室と三畳の水屋からなっている。移築の際湯殿と便所は取除かれ、瓦葺きの平屋一棟が控の間として増築された。萩市教育委員会
市指定有形文化財(建造物)
花江茶亭(はなのえちゃてい)
 花江茶亭は安政の始め(1854)ごろ、13代藩主毛利敬親(たかちか)が三の丸の橋本川沿いにあった花江御殿(はなのえごてん)(川手御殿・常盤江御殿)内に造った茶室である。幕末の多事多難のおり、この茶室で敬親は支藩主や家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したといわれる。
 維新後、長屋氏に譲渡されたが、明治22年(1889)ごろ品川弥二郎等が主唱してこれを買取り、指月公園内の現在地に移築した。
 建物は木造入母屋(いりもや)造り茅葺き(かやぶき)平屋建て、桁行(けたゆき)6.84m、梁間(はりま)3.62m、本床と脇床がついた4畳半の茶室と、3畳の水屋からなっている。萩市教育委員会
   

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猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

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